ボーカロイドアルバムをリリースしました(付随するメモワール)
曲はあった(曲はいっぱいある)。なかったのは方向性である。
もともと高校生の頃からギターのコードと魅力的なメロディの関係への関心が強く、もっぱら弾き語りばかりをやっていた。好きな曲……耳触りが他より明らかに良い曲のコード進行はキーが違うだけで皆似ており、数パターンに分類できることに気がついてからは、曲作りの真似事をはじめるのも早かった。
やがて大学進学にともない上京。バンド活動(らしき)をはじめる。同時期、ニコニコ動画ブームのなかでボーカロイドが誕生している。
当時、当たり前だが、ボカロPたちはボカロを聴いて育ったミュージシャンではなかった。彼らはたいていバンドマン崩れで、都合PCに詳しく、上手いこと波に乗った、ぼくより少し上の世代の人たちだ。ぼくも、まずはリスナーから入り、すぐに作り手としてボーカロイドに興味を持った。高校の頃ドンピシャだったのはロキノンと揶揄される直前の、日本のロックバンドシーン。青春パンク、下北系ギターロック、その中間のあわいの領域。そして大学生になったぼくは彼らのルーツを辿る長い旅(つまりは英米ロックシーンをその源流まで遡る)を開始したばかりだったが、面白いことに、それとバランスをとるようにしてリアルタイム性の極めて強いオタクカルチャーにハマった。ボカロ、アニソン、ゲーソン、声優、それらは紛れもなく、ぼくたちの世代の物語だったからだろう。その頃、日本のロックシーンは少し退屈な季節に入っていたように思う。
大学を卒業して二、三年が経ち、ぼくの中でオタクの季節が過ぎ去る。ロキノンの季節は帰ってこなかった。それぞれにさまざまな背景があってそうなった。そしてブルースを中心とした60年代〜80年代の音楽を本格的に聴くようになっていまに至る。バンドをすることもあれば仕事が生活のすべてになる時期もあった。異国をほっつき歩いたこともあった。しかし途切れ途切れに曲作りだけは続いていた。様々な曲があった。いつしか、先に書いた「数パターンのコード進行」を使わないことがモチベーションになった。歌もギターも練習嫌い、編曲には悩み、次に飽きるのだが、作曲には好奇心を持ち続けた。必竟、アイデアまかせの曲が増えていく。どういうわけか、本当の好みが出ている曲(数パターンのコード進行)をお蔵入りさせ、笑いながら作った異色をYoutubeに公開することが多くなった。
配信・CD問わず「リリース」するのははじめてのことだ。曲はあった。なかったのは方向性である。いまでも、自分はアコギを抱えた素朴なシンガーソングライターなのか、DAWに通じた現代的なボカロPなのか、黒人文化やロックの歴史を愛し「良い音」を探求するルーツ系ギタリストなのか、ゼロ年代の刻印を押された邦ロックキッズなのか、わからない。できればそのすべてでいたいというのが本音だ。そのどれにもなれていないという自覚もある。リスナーとしての趣味は変わっていない。蓄積され、広がっただけだ。しかし、プレイヤーとしてはいつも迷っていた。
曲が自分の身体から出るのは生理的な快楽に近い。それなら世に向けて出すのは社会的な快楽なのだと思う。様々な意味で純粋であろうとすることは、前者に閉じこもることを意味する。面白いことに、同じ曲でもジャケットとタイトルをつけて並べ替えるだけでよそ行きの格好になるから不思議だ。なるほど、これが社会性を身につけるということなのか、と今更気がついてももう遅い。
私の今のメインPCに初音ミクはインストールされていない。
AIを使ったら負け、AIを使わなかったら負け、どっちだと思う?
AIを使ったら負け、AIを使わなかったら負け、どっちだと思う?
ものづくりの人たちは生理的な反応として、まずAIに忌避感を抱き、その後、時代の趨勢に適応しようと努めて意識改革を行い、AIと自身のクリエイティブの共存についての前向きな着地点を模索しはじめたように思う。少なくとも僕はそう。海を越えた人々に憧れ、長い夢を見続けてきた。彼らは途方もない才能と長期に渡る航海の果てに向こうの大地に降り立ったのである。今さら飛行機が登場して半日でそこに行けると言われても、僕はポカンとしてしまう。だけど、行けるなら行かせてもらいたい気持ちもある。
一方でビジネスサイドの人たちは誰よりも早くAIの可能性を引き出し、ライバルを出し抜くことに忙しそうだ。それは置いてけぼりを喰らうことを恐れる気持ちの裏返しでもある。AIを使わなかったら負け、タフな社会は僕たちをそう煽りはじめた。結論は出ている。飛行機や電話そしてインターネットがそうであったように、先行世代の葛藤そのものが忘れ去られ、技術の叡智は人工の臓器のように社会活動の胎内に取り込まれる。そしてそこで確固たる居場所を占め、安定し、やすらかなものとなる。
片道切符の旅であり、状況は加速していくだろう。しかし、僕たちはまだその臓器に慣れ親しんでいない。AIの作曲は許せないが、アイスを舐めながらプリセット音源を選び波形をコピーペーストする、そんな世代なのだ。
AIを使ったら負け、AIを使わなかったら負け、あなたはどっちだと思う?

曲作り再開してからの4曲を紹介
諸事情により2018年の夏前から一年とちょっと音楽をしなかった。2019年の秋に曲作りを再開し各種アカウントと ZeroBeat も一通り整備し直した。この記事では秋の再開以降に作った曲についての思いを書いてみたい。
教育ママ
もともとはアコギでD7のブルースとしてAメロだけつくっていた曲。歌詞は「教育ママ」に成り切っているつもり。Logicでバンド化することにしてからシンプルなリフ(ジャジャッ・・・ジャジャッ・・・)をあて込み、盛り上げたくてBメロを捻出した。
Bメロのコーラス、Aメロの苦しそうな歌い方、ギターの音、それぞれお気に入り。変な曲だと思う。
壊れた宇宙船
「単音リフを使った曲 」&「教育ママよりも早い曲」を作りたいという漠然としたイメージがあり、エレキを数日間弄りながら単音リフが浮かんだところで組み立てた曲。リフ先行なのでコード進行は自分でもよくわからない。バッキングはキツいフェイザーをかけたC7のコード。
とにかくリフを生かしたかったのでAメロの歌とリフを反復し頻出させるようにした後に、Bメロは雰囲気でくっつけた。全体的に歌のキーが低すぎるのが反省。さらに肝心のリフの音作りに (ていうか全体のミックスのせい?) 迫力がない。まあこれはこれで一つの実験ということで。
ヘアトニック
大好きな The Eagles の『Lyin' Eyes』を間奏のギターフレーズ中心に全体的にオマージュした明るい曲調のアコースティックナンバー。力作。不器用ながら歌にも歌詞にもハートが入っていると思う。
MAITAKE
Gmインストナンバー。ギター2本でがっつりシンプル男気ロックというイメージ。マスタートラックに少しのリバーブもかけなかったのが正解で、音がデカく仕上がっている。満足の一曲。
2020年は音楽やっていきます。
だらだらと続いてしまう平成はまるであいつの怠け癖みたいだね
気がつけばもう五月だ。スタバに行ったらアイスコーヒー8に対して、ホットコーヒー2の比率になっている。由々しき事態だね。だってそれは気分が良いってことだから。二週間で三冊の本を読みきらず、図書館の返却期限を延長してしまったあなたにもどうやらまだできることがありそうだ。それは音楽を聴くこと。あるいは腹式呼吸を心がけながら髪を切ってみても良いかもしれない。そうすれば、Google様のサーチ・エンジン・オンラインを飛び越えて誰かの琴線に引っかかってくれるかもしれない。ここらで、ここ最近弾き語りでポっとした勢いで録った曲をまとめて紹介する。短いから、それぞれ聴いていただけるとうれしい。
よなよなエールの唄
ヤッホーブルーイング社のエース、親愛なる『よなよなエール』への想いを歌った曲だ。正確には、直営店である『よなよなビアワークス』で毎週月曜日は『よなよなエール』が500円になるということを歌った曲だ。コーラスでゲストボーカルを迎えている。彼女の初々しいファルセットに注目だ。
誇り高きヒッポグリフ
伝説の生き物でありながら、ハグリッドの友人としても著名であるヒッポグリフ氏への想いを歌った曲だ。
ニートになったら
エレクトリック・ブルース。ギタレレ(ヤマハ)の弾き語りをベースにしている。
曲はいい感じにできる。夏の陽気のせいでしょうか。平成と一緒に終わらせたいこと、誰だってたくさんあるでしょ?
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ゲームオーバー理論
気がつけばもう4月だ。文章の書き方を忘れたとき、わたしたちは現実を生きる方法を知る。東京に来たばっかりの頃のような新宿の街と、そこから見上げた三日月と、スターバックスのテラス席から見た新宿駅の向こうで変わっていく夕空のグラデーションをぼくは絶対に忘れないだろう。そのとき一緒にいたともだちのことも。 一度物を捨て始めたら、何もかもが要らないものに見えてくる。自転車やピアノ、前の職場を辞めてから着なかったワイシャツ、本、CD、ゲーム、大型モニター。残しておくものには二種類ある。ひとつは使い続けているもの。ギターやMac、気に入って頻繁に着ている服なんかがそうだ。もうひとつは、思い入れがあって、ただそれだけのために残しているもの。貰い物を中心に、PCに取り込み済みのCDや、もう読み返すかどうかわからないけど素晴らしい読書体験を与えてくれた本とかもその類いにあたる。東京には何ヶ所か、宇宙に近い場所があると思う。ぼくが好きなそのひとつは目白から池袋の間、雑司が谷霊園の西だ。数年前そこに良く通っていた頃、サグラダファミリアもびっくりな建築途中の高層マンションや道路が廃墟のようにでんと横たわっていた。池袋の近くなのにそこは驚くほど人通りが少なかった。いまはわからないけど。もうひとつは中央総武線と神田川が並走する飯田橋近辺の遊歩道だ。雑司が谷の西も、飯田橋の遊歩道も夜になると空気が透き通って、そこだけ東京と宇宙が交じり合う。春はとくに。東京は立体だ。川と緑と建築物。動きも立体。人の波、車の流れ、電車の線。服は動作を演出する、なんてことばを聞いたことがあるけれど、動作は人の目を引き、目を潤すのだと思う。平坦な画面上の映像には動作も立体もない。だからぼくは部屋から出る。飯田橋の遊歩道には、川と緑と立体と動作がある。夜には光もある。昨日の朝家を出て、日向ではなく日陰を選んで歩きたいなと思ったとき、夏だなあと思った。中央線の高架下こそ、夏の匂いを感じる。スターバックスではなくセブンイレブンでコーヒーを買ってそれを飲みながら歩いた。ゲームが続くことに理由はないけど、ゲームオーバーには理由がある。圧倒的に素晴らしいゲームがあったらクリアの見込みがあるかどうか関係なく、夢中になれば良いだろう。がんばりすぎてゲームのルールから逸脱することができたら、それはとても幸せなことだ。

東京の雪
世界は短時間で姿を変える。先日東京に雪が降ってそれを強く実感した。麻痺する交通網を予期して、雪が振りはじめて間もない午前中に帰宅の許可が出た。私は会社にいた。午後過ぎたあたりから雪は強くなり始めた。帰る?帰らない?お互いが同僚の様子を伺いながら、雪の日の熱に浮かされていた。私は業務の面では問題なく即刻帰ることができたが、それも惜しく、ひとりひとりと減っていくオフィスで比較的遅くまで残っていた。雪の日は祭りだ。台風と同じく。大いなる存在に恐れおののく一体感。それを前にしたら、右の人も左の人も仲間になってしまう第三者の審級。それでも十六時くらいだろうか。同僚とともにオフィスを出た。近くの公園に足を踏み入れた。歩道、車道、古い建物、近代的なビル、車、信号、コンビニ、スターバックス、全てが強く柔らかい雪国の雪に吹かれていた。東京は美しい。本当の夏の日や、本当の桜の日や、本当の紅葉の日や、本当の雪の日になるとそれを強く実感する。そこかしこに雪だるまができている。その後、私は家に帰らずに、乗換駅構内の喫茶店で本を読んだ。帰れない人、帰らない人、高揚している人、別に普通に見える人。要は見方だ。私が非日常の目線で喫茶店内を見渡せば、そこには非日常の人がいる。窓から見上げた雪空は一向に降り止まず、ただ夜になっただけだった。ほとんどの企業が早めの帰宅命令を出したせいで、逆に夕方の電車はひどい混雑になった。
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