ファジーネーブル

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ゲームオーバー理論

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気がつけばもう4月だ。文章の書き方を忘れたとき、わたしたちは現実を生きる方法を知る。東京に来たばっかりの頃のような新宿の街と、そこから見上げた三日月と、スターバックスのテラス席から見た新宿駅の向こうで変わっていく夕空のグラデーションをぼくは絶対に忘れないだろう。そのとき一緒にいたともだちのことも。 一度物を捨て始めたら、何もかもが要らないものに見えてくる。自転車やピアノ、前の職場を辞めてから着なかったワイシャツ、本、CD、ゲーム、大型モニター。残しておくものには二種類ある。ひとつは使い続けているもの。ギターやMac、気に入って頻繁に着ている服なんかがそうだ。もうひとつは、思い入れがあって、ただそれだけのために残しているもの。貰い物を中心に、PCに取り込み済みのCDや、もう読み返すかどうかわからないけど素晴らしい読書体験を与えてくれた本とかもその類いにあたる。東京には何ヶ所か、宇宙に近い場所があると思う。ぼくが好きなそのひとつは目白から池袋の間、雑司が谷霊園の西だ。数年前そこに良く通っていた頃、サグラダファミリアもびっくりな建築途中の高層マンションや道路が廃墟のようにでんと横たわっていた。池袋の近くなのにそこは驚くほど人通りが少なかった。いまはわからないけど。もうひとつは中央総武線神田川が並走する飯田橋近辺の遊歩道だ。雑司が谷の西も、飯田橋の遊歩道も夜になると空気が透き通って、そこだけ東京と宇宙が交じり合う。春はとくに。東京は立体だ。川と緑と建築物。動きも立体。人の波、車の流れ、電車の線。服は動作を演出する、なんてことばを聞いたことがあるけれど、動作は人の目を引き、目を潤すのだと思う。平坦な画面上の映像には動作も立体もない。だからぼくは部屋から出る。飯田橋の遊歩道には、川と緑と立体と動作がある。夜には光もある。昨日の朝家を出て、日向ではなく日陰を選んで歩きたいなと思ったとき、夏だなあと思った。中央線の高架下こそ、夏の匂いを感じる。スターバックスではなくセブンイレブンでコーヒーを買ってそれを飲みながら歩いた。ゲームが続くことに理由はないけど、ゲームオーバーには理由がある。圧倒的に素晴らしいゲームがあったらクリアの見込みがあるかどうか関係なく、夢中になれば良いだろう。がんばりすぎてゲームのルールから逸脱することができたら、それはとても幸せなことだ。

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