ファジーネーブル

その曖昧さを検索したい

恥ずかしくて発表できない曲とかありませんか

自分でみつける音楽のためのWEBメディア|ZeroBeat

私はあります。

 

このブログでアルバムをつくりたいと宣言して曲作りを進めているんだけど、なかなか相応しい二曲目ができず。

ちなみに一曲目は↓

 

じつは曲ができないわけではない。
というか曲はいつになく沢山できている。
メロディも歌詞も新しい引き出しを発見できつつあると思っている。

じゃあ、どうしてそれを録らないのかって言うと、その曲たちがどうにもプライベートに過ぎると思っているからだ。

プライベートな曲。自分自身が出すぎていて恥ずかしい曲。誰ともシンガロングしたくない曲。
発表したってろくに聴かれるものではないのだから、躊躇すべきではない。
でも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
別に湿っぽいバラードだとか、実話仕立てのラブソングだとか、そんな曲ができてるわけではない。
でも恥ずかしいものは恥ずかしい。小さじ一杯程度の本音でも、私には。
それはまだ自分だけのものにしていたい。まだ。長い人生でいつか形にできれば良いと思っているそんな曲たちは、実は沢山ある。(ちなみに『ブロッコリーズのテーマ』は恥ずかしくない曲)

 

恥ずかしくないものを出したい。
生身の自分をさらけ出さないで済む曲を、安心して発表したい。よしんばそれを誰かに認めて欲しいし、誰かの心を動かしたい。自分は後ろに引っ込んだまま。
甘いだろうか。甘いだろう。少なくとも芸術で身を立てようとか、人を感動させるつもりなら。

f:id:bluemonday-inc01:20170910195624j:plain

でも次のようにも思う。
恥ずかしくない曲なんて、意味あるのかって。
それは本当に自分の曲なのかって。
例えば特定のジャンルの愛好家たちに向けて、特定のジャンルが約束された、彼らがいいね!してくれる楽曲を安定供給するなんて意味あるのかって。彼らはお互いにそうやっていいね!しあってるだけなんじゃないかって。
趣味を楽しむということがそういうことなのだろうか。
少なくとも私は、楽しんでくれる仲間がはっきりした場所に、はっきりしたジャンルの曲を投下したいとは思わない。それは私にとっては創造ではなく芸だ。どれほどプロフェッショナルな完成度であっても。
芸だって十分楽しいし音楽の本質の一部ではあるけど、私は、自分が自分のためにつくったものが、どこかの誰かに自分と同じように響いてしまう奇跡のような跳躍をこそ、芸術の存在価値のほとんどだと感じながら育っている。
だから恥ずかしい曲を作って、いまそれを出せずにいる。そう、遠回りだ。

 

とか言っていてもいい加減進みが悪いので、必ず何か捻り出すようにします。
この長文はそのための助走。最低ひと月に一度はブログ更新したいし。では。