ファジーネーブル

その曖昧さを検索したい

2010年、8ヶ月の夢とゲンロン0

自分でみつける音楽のためのWEBメディア|ZeroBeat

「先輩。4月からエロゲの先生がくるらしいっすよ」
「エ、エロゲの先生?」
東浩紀っていうんですけど。エロゲに詳しいオタクらしいっす」
それってただのエロゲに詳しいオタクじゃないのか。

2010年3月。学部の後輩があることを教えてくれた。
それは4月から私たちの学部に新しい教授が赴任するという情報だった。
教授の人事なんてよくあることだった。
しかし私たちの関心を惹きつけたのは、その教授がエロゲに詳しいオタクであるということだった。

2010年4月、学部の四年生になった私は就職活動をしていなかった。
昔から音楽と小説が好きで、例によって大学生になってからはアニメを見て、ニコニコ動画を見て、初音ミクを聴いた。エロの有無を問わず、サウンドノベルに夢中になった。

私の大学入学は2007年春。ニコニコ動画の誕生は2006年末。細田守の『時をかける少女』は2006年。アニメの『涼宮ハルヒの憂鬱』と『ひぐらしのなく頃に』が2006年。新海誠の『秒速5センチメートル』は2007年。アニメの『CLANNAD』は2007年。初音ミクは2007年。そういう時代だった。

後輩のアドバイスに従って、私はエロゲの先生の授業を履修した。授業は『WEB文化論』と言った。学部で一番の大教室だった。教室に入って来た東浩紀を初めてみたときのことは鮮明に覚えている。

最初、その男はTA(ティーチングアシスタント)に見えた。やけに若く、もっさりしており、垢抜けてない。冴えない大学院生だなと思った。太っているところも、いかにも冴えない大学院生であり、歩き方もオタクみたいだった。そのとき私は大切なことを忘れていた。私は「エロゲに詳しいオタク」の授業を受けようとしていたのだ。

広すぎる教壇に立ったTAは高い声で自己紹介をはじめた。TAなのに自己紹介するのか。このTAは東浩紀の専属の弟子なのかもしれない。

彼が東浩紀自身であることに自己紹介の途中で気がついてから、私がどのようにして東浩紀にはまったのかは不思議なことに覚えていない。

5月、私はTwitterをはじめた。『クォンタム・ファミリーズ』は三島由紀夫賞を受賞し、受賞後の授業では東浩紀を拍手で迎えた。7月、発売したばかりのiPhone4を買った。WebブラウザをGoogleChromeに変え、ライフハッカーやギズモードを読んでブックマークを効率的に同期したり、iPhoneでブログを書いたりした。6月頃、高田馬場に住む宇野常寛をWEB文化論のゲスト講師として東浩紀は迎えた。ある学生のカンニングが、Twitter経由で東浩紀本人にバレた。ニコ生のアーカイブを見て、突発的なUstreamを見た。『ised 情報社会の倫理と設計』の発売記念イベントが大学で行われた。津田大介の金髪を見た。すべてのキッカケは東浩紀だった。夏にはほとんどの著作を読んでいた。私は相変わらず就職活動をしていなかった。一方で『コンテクチュアズ友の会』が発足し、東浩紀に軍資金がリアルタイムで集まっていく様を私はTwitterで見ていた。ネットでのPR活動だけで。

東浩紀とは体験である。当時、同じ体験をした人がたくさんいたと思う。
結果的に当時の私が必要としていた人生への打開策を東浩紀はもたらさなかった。それは当然だ。私は東浩紀に打開策を求めていたけど、彼はもっと素晴らしいものをくれた。それはありふれた体験だ。だけど、ある時代にある年齢でしか出会うことのできない体験だ。

秋、私は相変わらず就職活動をしていなかった。東浩紀以外の書籍も熱心に読んでいた。進学するつもりは全くなく、実家の世話になるつもりもなかった。Twitterは板についてきた。依然おもしろい時期だった。尖閣諸島問題が起きた。12月に発売される『思想地図β vol.1』に向け、界隈の盛り上がりはピークに達していた。それはシーンというやつだった。この頃FaceBookに登録したが、いまもそれは使っていない。

12月、私は卒論を仕上げて『侵略!イカ娘』のエンディングテーマと『思想地図β vol.1(ショッピング/パターン)』を買った。12月23日、青山ブックセンター本店で行われた象徴的なイベント「2010年代の言論空間 思想地図β創刊記念with早稲田文学×PLANETS」に出向いた。壇上のスターたちにサインや握手を求める学生や、卒論を渡す学生がいた。彼らは東浩紀に認知された。私はただその場にいた。面識はなかったが彼らは大学の同級生だった。私の就職は決まっていなかった。それなのに2010年は、なんて素晴らしいのだろうと思った。


2011年4月。結果として私は就職した。リーマンショックの影響が最も出た年であり、就職率は谷底だった。3月には忘れもしない大震災があった。『魔法少女まどか☆マギカ』が放映されていたがピンときていなかった。


この記事は2010年について語っている。2011年は重要な年だが、2010年は大切な年だ。2011年を起点にTwitter東浩紀も私も変わった。一般発売された『ゲンロン0』を読んだ。最高傑作だった。2010年4月から12月23日まで私が見続けた8ヶ月の夢は、2011年になって弾けたはずなのに、『ゲンロン0』で生きている。私は、私の人生を打開しない東浩紀を、これからも必要とする。

 

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