ファジーネーブル

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ロックスターと時の隔たり

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上京して約10年経っているようだ。
途方もない時間だ。

高校卒業間際の10年前の私にとって、10年という時間はほとんど永遠と変わらないものだったように思える。多くのことが変わったのだろうが、感覚的にはなにも変わっていない気がしている。

これはとても恐ろしいことだ。

多くの大人たちが、気持ちは若い頃のままだと言うのを聞いてきた。
そんなのは無理がある、潔く現実を受け入れろと思ってきた。

しかし十年経って思うに、私たちは客観的な数値で社会における相対的な位置を目視し続けない限り、時の隔たりを感じることができない生き物なのかもしれない。

だから若者には、時に年長者がとても滑稽に映る。


問題は、その隔たりの不可視性を、そういうものと捉えるべきか、是正していくべきかという点だ。


大人は、時の隔たりを、意識して生きるべきなのだろうか。

 


社会生活を営む限りにおいて、年齢によってマナー違反や無知への許容ラインは異なる。若いから許されることがある以上、若くないことを認識しておく必要はあるのかもしれない。許容ラインの絶え間ない変化が、成長へのモチベーションとして機能している例も多いだろう。

しかし、逆に言えば、そこを担保できるのなら、私たちは時の隔たりにとらわれる必要はないのかもしれない。つまり、少なくとも体感的な若さそれ自体が、滑稽であることなど全くないということだ。

 

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今日、チャック・ベリーが亡くなった。
ロックスターが寿命を迎える時代が、いよいよきている。

ローリング・ストーンズポール・マッカートニーボブ・ディラン
若くして死なず、老人になったロックスターたちは、おそらく半世紀前に地球上で誰一人として想像できなかったレベルで若く在り続け、ロックし続けている。ロックミュージックが誕生する以前の人類社会に、このような前例は存在したのだろうか。

彼らは、時の隔たりという尺度で、生き方の是正を行ってこなかった生き証人たちだ。
それが滑稽なものなどではなく、むしろ人類史のエアポケットに落ち、忘れ去られていた輝かしい本質であることを、ロックンロールは偉大なスターたちを通して再証明してきたのかもしれない。

 

ちなみにそのエアポケットの前で立ち止まって覗き込んだ最初の人物は、Chuck Berryという名の大男だと聞いたことがある。