ファジーネーブル

その曖昧さを検索したい Twitter@bluemondayInc

ハッピーエンドは赦されない / happy end will never be forgiven

弾き語りで新曲。クリスマスイブにつくって、一週間寝かせて今日一発録り。7〜8テイク程録ったけどこれ以上無理そうだったので2テイク目を採用。

 

 

 

 

街の明かりから離れてそっと帰る道
振り返るのには時間がもっと必要だ

ハッピーエンドは
ハッピーエンドは
ハッピーエンドは
赦されない

二人の時間は宇宙の果てに凍りつき
辿り着くのには途方もない距離がある

ハッピーエンドは
ハッピーエンドは
ハッピーエンドは
赦されない

眠りにつくまですべてが赦されない
再び逢うまですべて赦されない

 

 

 

恩田陸黒と茶の幻想』で、登場人物の彰彦が次のように言う。

 

 

「そう。男と女はよりよい子孫を残すために相手の資質を見定めようと日々戦っているわけ。恋愛は戦いだ、文字通り。日々真剣に闘うことで『赤の女王仮説』を立証しているのさ。男女が完全に理解しあい、納得してしまってはだめなんだ。永久に超えられない一点、微妙な平行線を辿る部分がないとね。なぜならば我々にハッピーエンドは許されないからだ。いつまでも幸せに暮らしました、では生命は生き延びられない。常に現状に疑問を抱き、将来に不安を感じている状態が、生物のあるべき姿なのだ」

恩田陸黒と茶の幻想講談社文庫、2006年、122頁)

 

 

そう、 私たちにハッピーエンドはゆるされない。それは決して悪いことじゃない。大事なのは、それが嘘じゃなかったことだ。ハッピーにエンドしなかったとき、そこになにが残っているか、次になにができるか。必ずなにかが残されてるはずだ。ハローマイフレンド、それが次へのヒントなんだよ。

 

キーはG#(1capoでG)なんだけど、Am7やB7、F、Em、C(すべて1capo)の使い方を気に入ってる。唯一持っているコンデンサーマイクRODE/NT1-Aで録って、Logic Pro XでSpace DesignerとAdaptive Limiterを乗っけて完了だ。仕事も納めて、楽しかった2017年は終了だね。新年の抱負なんてない。なぜなら、すべて2017年から繋がっていて、抱負なんてものはそれ以前からとっくに確定し、ずっと続いているものだから。良いお年を!

 

黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)
恩田 陸
講談社
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この秋起きたことと書かれなかったことについて

公私共に、いや主に公の方がたいへんだった。
公(こう)がたいへんだったせいで、私(し)の方でもなにかといっぱいいっぱいな状況であった。


いっぱいいっぱいであるとき、私は何をしていたか。それを明らかにする。


まずはビールを中心に酒をたくさん飲み、次に本をたくさん読んでいた。
そして熱心に音楽を聴き、ギターを良く弾いた。
以上を踏まえて喫茶店ではコーヒーを飲み、バーやレストランに赴いては、酒を飲んでいた。
そう、要するにいつもと寸分たがわぬ日々を送っていた。


しかしながら、いつもと同じことをしつつもその熱量はいつもより心なしか切迫しており、その対象には強く没入していた。


たとえば、おもむろに手に取ったギターは、アコギではなく、エレキであることが多かったように思う。いうまでもなくGAINのつまみが上振れしていた。


たとえば、未読のものではなく、すでに過去に読んでいた本を何冊か読み返した。それも、本棚の殿堂入りの一角に長いこと鎮座していた、とっておきのやつらだ。

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ここまで書いて思うのは、書かれなかったことについてだ。起きたことについて書くとき、そこには必ず書かれなかったことがある。意図的に書かれないこともあるだろう。しかし、私が気にするのは、分量の問題で、あるいは話の流れを自然でわかりやすいものに整えていく上で、必然的に置きざりにされた出来事たちだ。たとえば、私は海外出張に行ったり、その飛行機の中で聴いた桑田佳祐のしゃがれ声に改めてグッと来たりもしたが、それについて上で触れることはなかった。いずれもこの秋の私の公私を書き出す際のトピックとして、けっして役不足ではなかった。

 

何かが書かれないことで、全体の印象は必ず違うものになる。書き手はすべてを見ている。読み手は書かれたことがすべてであると認識する、まではいかずとも、少なくとも書かれるべきことは書かれているはずだという前提で読む。そこで、書き手と読み手は違うものを見ていることになる。事実のみを連ねているにも関わらず、だ。書き手はそのすれ違いを受け入れられないことが多いように思う。しかし、書かれなかったことが書かれなかったゆえに生じる全体感の変質こそが、ノンフィクションの読み応えを支えるのかもしれない、といま気がついたのだった。だとすれば、書き手はその違いを積極的に選ぶべきなのだ。

書かれたことの外側には、書かれなかったことが散らかっている。
書かれたかった、とうごめいている。

文章を書く上で必要とされる覚悟。そんなものは無限にあるだろうが、そのうちのひとつは、書かれなかったこと、そして本当は書きたかったことから自由でいることなのかもしれない。

 

 

『雪の断章』の編曲を少しだけ進めた。
冬はすぐそこだ。

EaglesとIPAと布袋とKanon

天候に恵まれた三連休。

土曜の夜はEaglesのLyin'Eyesを聴きながらの帰り道に大きな月が見れてとても満足だった。

 

ビールはPunkIPAを飲んだ。涼しい季節はラガーやピルスナーではなく断然IPAだ。夏に控えたその分を飲む。北海道に出張したらしい父から、小樽の地ビールを送ってもらった。

 

 

最近YouTube布袋寅泰の2009年のファンクラブ限定ギグの映像を見ている。布袋×TOKIE(ベース)×中村達也(ドラム)のトリオ編成なんだけど、シンプルと饒舌を両立しているスキのない演奏がおそろしく格好良い。じつは布袋はあまり聴いてきてないんだけど、良い意味でのロックの臭さというか、粋がった男の世界を無遠慮に、そしてスマートに体現しているその格好良さがいまはわかる。フォーマルなスーツでキメて、正確無比かつエモーショナル、そして意外と古典ロックへのリスペクトに溢れたトラディショナルなギタープレイをする姿は唯一無二。

 

『雪の断章』の作曲を進めた。

ベースライン、Bメロ、その他諸々細かいアレンジを施した。ちょっと歪んだピアノのリフレインからは、ちゃんと雪の小道が浮かんでくるのでは。ホントはもっと夢幻的な雰囲気をだしたいのだけれどできない。仕方ない。このあとはサビが待機しているらしいけどどうなることやら。

 

 

昔からサウンドノベルが好きで、しばらくご無沙汰だったのだけれど、最近iPhoneアプリを探してプレイしている。やはり私はサウンドが好きだしノベルが好きなようだ。サウンドノベルは、読みやすい文章と聴きやすい音楽を組み合わせた芸術だ。もちろん可愛いイラストも、場合によってはボイスもあるが、私にとってサウンドノベルはサウンドとノベルでできている。読みやすい文章と聴きやすい音楽をボタン一つで進行させていくサウンドノベルには独特の陶酔感がある。読みやすい文章だけでは成立しない体験と、聴きやすい音楽だけでは成立しない体験がそこにはある。サウンドノベルについてはまた別の機会に書いてみたい。というか実はサウンドノベルはつくってもみたいんだけど、それについてもまた今度。

 

雪の断章もちょっと、Kanonっぽい感じしません?

Kanon オリジナルサウンドトラック
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池上永一『レキオス』沖縄という土地の混沌と美

西暦2000年の沖縄本島を舞台にしたSF。主人公は混血の女子高生デニスだ。

沖縄を取り巻く政治的軍事的テーマと郷土神話を絡めながら、終盤になればなるほどファンタジックな仕掛けに発展する。

 

一番の見どころは、日本とアメリカの中間に位置する沖縄という土地の混沌と美の描かれ方だ。伝奇的な感のある壮大なプロットは、沖縄という土地の混沌と美を描くためのフックでしかない。コザ、那覇、ハンビータウン、天久、嘉手納、ムーンビーチ、セーファ御嶽、すべてがキラキラとドロドロと輝いている。池上永一はつくづく沖縄が好きなのだと思う。

 

 

個性豊かな登場人物たちも沖縄を引き立てる。黒い肌と縮れた髪、抜群の身体能力を備えたイマドキの女子高生デニス、正義感のある"平凡な"エリート将校ヤマグチ少尉、親友の理恵、天才科学者オルレンショー博士、抜群の占い的中率を誇るユタのオバア、時を越えた守護霊のチルー、CIA所属ブルネットの才女コニー、同じくCIA所属スケコマシでインテリのフェルミ、いかにも企みのあるヤマグチの上司キャラダウン中佐、秘密結社GAOTOの本拠地とされるスナック『ブルーチャイナ』を統括する女帝の劉、その部下たち、無垢な天才整備士クリス、おばかなギャルのヒロミ。ひとりひとりにドラマがあり、それが沖縄という土地でこそ輝き、沖縄という土地を輝かすドラマなのだ。

 

大胆なシナリオを肉付けして細やかに土地の風景が描かれる。そのひとつひとつに圧倒的な沖縄への皮膚感覚と教養、やさしく厳しい視線が宿っている。デニスと理恵がムーンビーチに繰り出すシーンには、池上永一の作家人生を影で支える美しい描写力が鮮やかに発揮されている。

 

安定感のあるプロットやロジカルな伏線回収を求める人にこの小説は向かないかもしれない。政治問題や、軍事問題への文学的な問いかけを期待するのもナンセンス。そんなことは置いておいて、ただただ世界観に浸りきりたい人にはオススメだ。フィクションがフィクションたるプリミティブな読書体験と、いつまでも耳に残り続けるオキナワンサウンドを保証できる。

 

 

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平日の朝からオープンテラスのカフェでDTMをしている

平日の朝から、カフェのオープンテラスの席で、LogicからSoundCloudに自作曲をアップロードしている。アメリカーノなのにとても苦いアイスコーヒーを飲んでいる。涼しい。半袖にサンダルでは少し涼しい秋の午前。

 

 

さて、ザ・ブロッコリーズは『ブロッコリーズのテーマ』の次の曲をつくっている。曲名はずばり『雪の断章』だ。佐々木丸美の同名小説からとっている。大学生の頃、創元推理文庫から佐々木丸美の復刊ラッシュがあった。最初に偶然手に取ったのが『崖の館』だ。その透明感に一発ではまり、復刊された作品はほぼ全て読み切った。我ながら乙女な青年だった。彼女の本はその後一度も読み返していないが、いまでも本棚の一角に存在感を持って収まっている。

 

曲『雪の断章』は弾き語りでつくっている。どんな心境でつくったかはすでに忘れている。タイトルを拝借したからには、私の中でのイメージは近しいはずだが、決して小説がアイデアの種になっているわけではない。

 

実は、弾き語りの状態でも、この曲はAメロとBメロしか存在しなく、完成していない。イントロもない。歌詞には推敲がたっぷり必要だ。そのうちアイデアが広がるときがくるだろう。そう思ってメモだけ残している曲たちのひとつだった。今回ピックアップしたのは、意外と打ち込みでも合うかも、と思ったからだ。

 

従い、このような曲調としてみた。もとはさみしいフォークソングだったのだけれど、DTM化に伴い、ローテンポを逆手に取った気持ちよさで、漂うようにノれる曲にしていきたい。

 

ブロッコリーズのテーマ』はほぼ打ち込みだったので、バッキングギターを重ねてみた。ラインで録った音源をコピー&ペーストして、あれこれエフェクトで悩むのは楽しい。無精なので私はあまりペダルを踏まない。DAWならペダルでは到底再現できない音作りを楽しめる。特にディレイ、リバーブフェイザーは打ち込みリズムとの相性も良くて気持ち良い。

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恥ずかしくて発表できない曲とかありませんか

私はあります。

 

このブログでアルバムをつくりたいと宣言して曲作りを進めているんだけど、なかなか相応しい二曲目ができず。

ちなみに一曲目は↓

 

じつは曲ができないわけではない。
というか曲はいつになく沢山できている。
メロディも歌詞も新しい引き出しを発見できつつあると思っている。

じゃあ、どうしてそれを録らないのかって言うと、その曲たちがどうにもプライベートに過ぎると思っているからだ。

プライベートな曲。自分自身が出すぎていて恥ずかしい曲。誰ともシンガロングしたくない曲。
発表したってろくに聴かれるものではないのだから、躊躇すべきではない。
でも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
別に湿っぽいバラードだとか、実話仕立てのラブソングだとか、そんな曲ができてるわけではない。
でも恥ずかしいものは恥ずかしい。小さじ一杯程度の本音でも、私には。
それはまだ自分だけのものにしていたい。まだ。長い人生でいつか形にできれば良いと思っているそんな曲たちは、実は沢山ある。(ちなみに『ブロッコリーズのテーマ』は恥ずかしくない曲)

 

恥ずかしくないものを出したい。
生身の自分をさらけ出さないで済む曲を、安心して発表したい。よしんばそれを誰かに認めて欲しいし、誰かの心を動かしたい。自分は後ろに引っ込んだまま。
甘いだろうか。甘いだろう。少なくとも芸術で身を立てようとか、人を感動させるつもりなら。

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でも次のようにも思う。
恥ずかしくない曲なんて、意味あるのかって。
それは本当に自分の曲なのかって。
例えば特定のジャンルの愛好家たちに向けて、特定のジャンルが約束された、彼らがいいね!してくれる楽曲を安定供給するなんて意味あるのかって。彼らはお互いにそうやっていいね!しあってるだけなんじゃないかって。
趣味を楽しむということがそういうことなのだろうか。
少なくとも私は、楽しんでくれる仲間がはっきりした場所に、はっきりしたジャンルの曲を投下したいとは思わない。それは私にとっては創造ではなく芸だ。どれほどプロフェッショナルな完成度であっても。
芸だって十分楽しいし音楽の本質の一部ではあるけど、私は、自分が自分のためにつくったものが、どこかの誰かに自分と同じように響いてしまう奇跡のような跳躍をこそ、芸術の存在価値のほとんどだと感じながら育っている。
だから恥ずかしい曲を作って、いまそれを出せずにいる。そう、遠回りだ。

 

とか言っていてもいい加減進みが悪いので、必ず何か捻り出すようにします。
この長文はそのための助走。最低ひと月に一度はブログ更新したいし。では。

8月の大人

梅雨を感じさせない7月が過ぎて、8月ははっきりしない天気が続く。ZeroBeatのレビュー記事の更新も少しペースを落とし、『ブロッコリーズのテーマ』の編曲も心なしかゆっくりだ。

夏バテなのか食欲がないことも多かった。気の緩みなのかなんなのか、通勤帰宅の時間以外に、ゴロゴロしながらYouTubeで音楽を聴く時間も増えた。通勤帰宅や散歩の時間にはアルバムを聴く。YouTubeの場合、自ずと曲単位で聴くことになる。いろんな曲を知れて良いしその瞬間は楽しいが、どうもそれはネガティブな音楽の聴き方である気もする今日この頃。


夏休みがとれるので、いつにするか思案中。友だちとパーッとリゾートという話もあるし、ひとりでふらりと出かけるのも良い。実家に帰れば歓迎されるだろう。ばらばらに休暇を取得して、土日のように使うのもありだ。なんだっていいけど、もう八月の半ばだけど、どれに対しても積極的な選択ができないまま、夏休み消化期限が迫っているのが今目の前にある現実だ。


お酒を飲むのは楽しい。ひとりで飲むのが一番うまい。飲み会も良いスパンで訪れるので、みんなで飲むのも楽しい。話すことはたくさんある。そうやって毎日が過ぎてゆく。少しだけ甘ったれた環境で、少しだけ情けない環境で、少しだけふわふわしたまま、楽しく、煮えきらず、満足して、納得できずに過ぎていく。やりたいことを残したまま、やりたいことに近づいたり、遠ざかったりしながら。


次の曲に手を付けたいので、『ブロッコリーズのテーマ』のバージョンは、今回をもって1.0とする。本当は歌もあるのだが手こずりそうなので今回はシンセverというカタチで落とし所とする。編曲面では、最終調整ということでいろいろと手を入れた。PAN、音量、オートメーションの調整はもちろん、楽曲構成で小細工をしたり、聴こえるか聴こえないかわからないような音も追加して、完成度というやつを高めたつもりでいるので、期末の実技試験の仕上がりを見る心構えで、聴いてくれるひとがいるとうれしい。もちろん、機を見て今後バージョンアップしていく可能性はある。

 

つぎの曲のことを考えている。つぎは真正面から、メロウな歌ものを形にしたい。本当はそういうやつが好きなのだ。まずは弾き語りを録ってから、それをDTMサウンドとして再構築する過程を残したら面白いとおもっている。

 

新しい食べ物の味を知って、新しいお酒の味を知って、新しい人付き合いを知って、新しい気の持ち方を知って、何の無理もなく、少しずつ豊かに、少しずつましになっていく。これが大人になるということなら、私が大人になりはじめるのは、随分と遅かったようだ。そして、大人になることがいま本当にはじまってしまったのだなあと思う。

 

 

Twitterは、条件反射のように立ち上げて、懲りずにいつも見ている。それでもつぶやくことはあまりない。今日は楽器屋でギターを見て帰ろう。

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